絶望と諦観からのセミリタイア計画(仮)

投資による早期リタイアを考え始めた人の 生活・思考・投資・金の話

人に必要とされる>自分の好きなことをする?

好きなことをして暮らすよりも、人に必要とされて生きる方が幸せ

・・・かどうかは、やっぱり人によると思う

時期的なものなのか、思考がシンクロしてるのか、とうふの見てるブログでこれに近い話題を書いてる人が多い

誰かインフルエンサーがいるのかな?

 

最初にこう発言した人は、自分の性格性質をわかってないままリタイアして、最初は楽しかったけど、することがなくて虚しくなった・・・という方なんだろうか

知らないんであんまりテキトーなこと言えないけど

その人にとっては大きな発見だったのかもしれないけど、人間は~ と言いきるのはやや乱暴だと思う

体感としては当てはまる人のほうが多そうだけどね

 

そもそも人と関わるのが煩わしい、1人サイコー

人から頼られたりするのは荷が重い・・・しんどい・・・

みたいなタイプも確かにいるし

何もすることがないと苦痛を感じる人もいれば、何もかも嫌になって何もしたくない(とうふのような)人もいるし

人生の中で心境の変化もある

 

というかこのテーマって難しいと思わない?

「人に必要とされる」「自分の好きなこと」「幸せ」って 人によって思い描くものも程度も優先順位も何もかも違うじゃないですか

必要とされるにも、存在そのものを肯定されることなのか、そばにいることなのか、都合よく使われることなのか

少しでいいのか、少しってどれぐらいなのか 毎日?週一?月一?

それを仕事と結びつける必要があるのか?

他に優先順位が高いものはあるか?

 

とうふはそんな高次元の3項目より、嫌なことをしたくないとか、苦痛を軽減することが優先だし、できる限り早くサクッと死ぬことが理想だし

他人に何かを求めること自体、考えるだけ苦しいなと思ってしまう

上に行ったら下がるしかない、落差で疲れるから幸せにもなりたくない とか言っちゃう程度には絶望してる人だし

それだって明日には違うこと言ってるかもしれない

 

なんか書いてたらだんだん、発言者の本当の課題って違うところにあったんじゃないかと思えてきた

NHKの番組でも言ってたもの 人に親切にすると炎症が治まるって たまにボランティア参加すればいいんじゃないの?と思うんだよ

本当に必要とされてるかなんてわからないんだから、自分で「あ~人の役に立ったわ~」と思えればいいんじゃないのか

なんとなく「こうあるべき・こうすべき」思考に囚われてる気がする・・・

かっこ悪いとか恥ずかしいとか、(とうふからすると)えっ!?という部分で体裁を気にする人は多い

 

眠くていつも以上に文章がまとまらないよ・・・なぜこの話題を選んだ?

 

とうふ的には仙人のお話がいちばん飲み込みやすい感じ

nightwalker.cocolog-nifty.com

NIghtWalkerさんの文章はグサッときたりモヤっとしたりがなくて安心して読める 俯瞰視点だからかな・・・仙人だもんな