絶望と諦観からのセミリタイア計画(仮)

投資による早期リタイアを考え始めた人の 生活・思考・投資・金の話

歌丸さん・・・

さっき包丁がすべって爪に切れ込みが入った

ビビリなせいか未だに包丁で指を切ったことがない(爪は何度か切ってるしピーラーでは負傷してる) とうふアザラシです

 

歌丸さんの訃報を会社PCでチラッと見た

笑点メンバーにいじられたのか本当に訃報なのか、どっちだろうと思いつつ、ついさっき調べて確かめた

月初で遊んでる暇がなく、仕事してたのでブログも更新できず

帰ってきて風呂入って夕飯作ってひと息ついたところでございます

 

笑点は結構よく見る

日曜夕方になると居間に集まって家族でテレビを見てた、その名残なんだろう

とうふは歌丸さんと楽さんの掛け合いが好きだった 小遊三さんも好き 父と兄は木久扇さん推しだった とうふも年々、木久扇さん好きになりつつある

 

81歳かぁ・・・ 父方のばあちゃんも81だったかな ばあちゃんは父が倒れる1ヶ月前に亡くなった

まだとうふが大学休学してる頃、じいちゃんが肝硬変で入院して、父と週末に見舞い&ばあちゃんの様子見に行くようになった

そういえば休学してすぐ免許を取りに行った じじばばの家までは車で1時間ちょっとぐらい

父と行き帰りで運転交代して負担を減らせるし、運転練習にもなった

 

じいちゃんは1年ぐらいで亡くなって、ばあちゃん1人ではどうしようもなく、引き続き父と毎週ばあちゃんの様子見に行っていた

一応、伯母はまあまあ近くに住んでいたが 以前書いたようにクソ野郎で、ばあちゃんは母親なわけだが、ずいぶん恨みを募らせていた

じいちゃんが亡くなってから数年間、ばあちゃんの認知症がひどかった 特に物盗られ妄想(犯人はだいたい伯母)

法に触れない範囲とはいえ伯母にいいように搾取されてたので 完全な妄想とも言い切れない

そんな感じで伯母に任せたくても任せられなかった

 

認知症がひどいときはとにかく言ってることがメチャクチャで、どうしたらいいんだという感じだった

ヘリコプターが来たとか、伯母がタンスの中身を盗みに来たとか、伯母とじいちゃんがデキていた(伯母の子供はじいちゃんとの子だ)とか

今思うことは、じいちゃんが亡くなったショックが大きくてそうなったんだろうなと 調べると、認知症とうつの症状は結構似てる

 

専門の病院にも行って認知症がある程度落ち着いて、しばらくは割と元気だったように思う

がんで放射線治療とかやってたけど、70後半ぐらいになるとがんの進行もだいぶ遅いらしく、病気の自覚症状はなかった(放射線の副作用のほうが辛かった模様)

脳梗塞を起こしてからほぼ寝たきりになって介護施設に入った それから2年ぐらいだったか そろそろ危ないと父から連絡が来て、父が施設に着く前に息を引き取った

 

とうふはあまり他人の死に感傷的にならないタイプだ

しょっちゅう顔を合わせるような人ならともかく、年に1回会うぐらいの人だったら、あぁもういないんだな・・・とは思うが、悲しいといえるほど切実な感情はない

じいちゃんが倒れてからずっと大変だったお父さんに、お疲れ様と思う気持ちが強かった ようやく自分のために時間が使える、そんな矢先に父も亡くなった 人生はままならない

 

歌丸さんが亡くなったのを、あぁそうなのか・・・もういないのか・・・なんて思えるのは、自分の人生とは無関係で他人事だからなんだよな、と考えてもにょもにょしている