自分の中ではしっかりしてるけど、言葉で説明するのが難しい話
会社も仕事もそれほど問題がないのに、なぜ早期リタイアを考え始めたのか?
原因は自分にある
何ヶ月か前のあるとき、もう無理だな と感じた
わかっていながらも生きていくには都合が悪いから騙し騙し頑張ってきて、ああもうこれ以上は無理だ 限界だ という心境にストンと落ちた
一種の諦め、かといって悲観しているわけではなくかなりフラットな心境 不都合な真実でも気付いてしまった以上、無理なことをどうやってやめようか具体的に考え始めるのがこのとうふ
諦観ってこういうことなのかもしれない
諦観とは
1 本質をはっきりと見きわめること。
2 あきらめ、悟って超然とすること。
まあ悟ってるとはとてもいえないけど、1の状態ではある
さて、何が無理なのか この会社にいることが?組織や集団に所属することが?人と一緒にいることが?他人が/自分が存在することが?生きていくのが?何もかもが? ここに至るまで要因がありすぎて判然としない 全部かもしれない
いずれにしても急に無理になったのではなく、元々無理だった 無理なものをなんとかしようと苦しんできた結果がこれだ
今の会社はいい会社だと思う それでもこうなるのは、そもそも集団社会が自分にとってかなり苦しいものだから いい会社とは、「苦しい中ではマシなほう」ということ
ここまではっきりと自覚があってあと何十年も会社勤めを続けていくしかないとすれば、大変な苦痛だ その未来が見えているから騙し騙しやってきた 妥当な選択だと思う
会社に問題がないからこそ消去法で原因が判明して、認めざるをえなくなった
父という最大にして最後の精神的・物理的支えを失くしたダメージが甚大で、今までなんとかできたこともすべて耐え難く感じるし、自暴自棄になっている ということを差し引いても、おそらく本質は変わらない
皮肉な話、相続によって会社を辞める選択肢が現実的になったからこそ、不都合な真実でもストンと腑に落ちたんじゃないだろうか
いずれ会社を辞める=この苦しみを終わらせる 希望があるからだ
集団への苦手意識や少数派の生きづらさは昔から感じている
小学生の時点ですでに、勉強は好きだけど学校は嫌いな子供だった
仲のいい友達がいなくて孤立気味だったし、いじめにあったり両親が離婚した影響を受けたりサイコパスな隣人に付きまとわれたり とにかくいい思い出がない
誰が悪い何が悪いというより
自分には人間嫌いになる資質があった それが育つのに十分な環境もあった もはやなるべくしてなった、どうしようもないことだと思う
当時の絶望感や苦しみは、選択肢がないという点では今より悲惨だったかもしれない 辛い思いは二度とごめんだ 断じて過去には戻りたくない
なんだか話が全然まとまらない
もうひとつわかりやすい話をしてみると
父の死によって今、本当に辛い精神状態である(まだ1年も経っていない)
今もまだ引きずっているが 仕事どころじゃない手に付かない最悪の状態で、特に誰にも迷惑かけず仕事はできてたらしい 誰がどうやって何をしてたんだろう?レベル
会社に行くのも辛い、というか日々の生活すらまともにこなせないひどさのとき
有給休暇の範囲内で休むか
無給休暇に突っ込んでもいいから休むか
いっそしばらく休職するか
いっそ退職するか
いっそ死ぬか
辺りを何度も考えた
最初の2つはともかく、あとの3つはだんだん現実味が薄れていく
正直な気持ち、時間が経てばこのショックから立ち直れる・・・とは思えない
大事な人がもうこの世にいない 死=永遠の不在 この事実は変えられない
死を受け止めても、その人が今も未来もいない、もう会えない、そういう悲しみからは救われようがない と思ってしまう
打ちのめされる頻度が減るってことは あるだろうけど
そして自分の書いた文にダメージを受ける((((;´д`))))バカナノ?
こういう考え方なのに、一時的に休む・辞めるという選択肢は合っていない
おまけに
・傷病手当金が入るとしても、少しずつ貯金を切り崩す必要がある
・結局どこかで復帰or復職しなきゃいけない 当然、早めの方がいい
・頼るアテもないので全部自力でなんとかしなきゃいけない
この状況でいつまで続くかわからない長期休暇があっても 休まる気がしない
だったら今はなんとか仕事するフリして収入を確保しといて、さっさとお金貯めて早めに仕事辞めて その後ずっと休んだほうがいい
好きなものはあとで食べるタイプ
的確かも不明だしさすがに雑な例えだった
今日はしんどくて(昨日もしんどかった続き)午後有休とって帰ってきたから結構書く時間をとれた
この週末でプロフィール画像を用意したいところ