絶望と諦観からのセミリタイア計画(仮)

投資による早期リタイアを考え始めた人の 生活・思考・投資・金の話

興味と好奇心で生きてきたタイプ

死別の体験から、自分がぶっ壊れてしまったような、もう二度と元には戻らないような、そんな感覚がずっと続いている

といっても私がメタクソになっているのはいつもの友人ぐらいしかわからないらしい(他の人が全員嘘をついている、とかじゃなければ)ので、壊れてしまったというのはあくまでも自分の認知の問題

 

災害だったり大切な人との死別だったり、想定外のショックな出来事が起こると、比喩ではなく自分の世界が崩壊してしまう 壊れてしまったというのは、割と普遍的な感覚じゃないかと思う

 

今まで立っていた足場が崩れるようなもので

ここから立ち直るというのは、今までの足場を修復することではなく、新しい足場を作るなり見つけるなりすることだと思う

 

 

どうして、どういう部分で自分が壊れてると感じるのか、いくらか考えたことを書きたい

ヒント:タイトル(モロバレ)

 

以前の自分なら普通にできたことが、今の自分にはできない、というのがまず大きなストレスになっている

 

自己同一性という意味でのアイデンティティがおかしくなって、鏡に映る自分を見て誰だこいつ···と思ったり、知らない人の体に入ってるようで気持ち悪かったり

これはヤバイと思っていたが 最近は落ち着いてきた

 

それから他人に理解してもらいたい気持ちがなくなった

理解してほしい人がいなくなってしまったせいでもあるし、喪失のつらさをもう味わいたくない逃げでもある

しばらく友人にすら拒絶反応があって会いなくなかったほどで、誰とも関わりたくなかった

これも時間の経過で多少やわらいできた

 

そんな中、以前と今の落差が激しく、ほとんど回復してないように感じるのが、興味と好奇心

こうなるまではっきりと自覚してなかったけど、もともとあり余る興味と好奇心で生きてきたタイプらしい

 

それが今はいろんなことがどうでもよくなってしまい もうこれ以上生きててもやりたいこともないとか、とにかく行動基準がなくなって困ってるのかもしれない

生前の自分 という謎表現が浮かんだ

 

こちらの記事が気付くきっかけになったので、また貼る

giraffyk1.hatenablog.com

 

振り返ると、昔から割といろんなことに興味があった

プラス、大人のやることを真似したがるタイプだった

勉強は楽しいからやって、やるとさらにわかるから楽しい無限ループ 兄がいるので就学前から漢字や九九を覚えたり、小中で勉強に困った覚えがない

父に本を読んでもらうのも自分で読むのも好き

 

運動もそれなりにできて楽しかった 基本的に外で遊びたいから習い事はしたくなかった

ヤマハに通わされていたので音楽もそれなりにできた 小さい頃は遊びたくて練習ギライで、練習しなくても結構弾けちゃうからしなかったり 嫌な子供だ

 

ゲームも好きだった ヘタクソでほとんど兄のプレイを見ていたが 見るのも楽しかった

絵を描くのも好きだった 上手いわけじゃなかったけど、マンガのようなものを自由帳に描いてた記憶がある

 

小学校高学年ぐらいからは小説のようなものを書き始めて、つい最近までほぼ毎日何かしら書いていた

同時期から深夜アニメにハマってアニメ雑誌を買ったり、声優にやたら詳しくなったり いじめられっ子にありがちなオタク趣味に走った

マンガやアニメの好みは兄がいる影響か、かなり雑多 ドラゴンボールとセーラームーンが並び立ち、りぼんっ子でありながらコミックボンボンも読む みたいな具合で

 

すべての基盤になる好奇心は、なんでも知りたがるところから あれこれ疑問が浮かんでは父に聞いて、父がめんどくさがらずに答えてくれたから育ったものだと思う

父の興味と好奇心もかなり広く、なんでもよく知っていた 父と比べてしまうと私は劣化版だが

 

兄の興味は私や父と違ってだいぶ限定的

あらゆる面で何をどう感じて動いてるのかわからないが、ゲームやアニメは好きらしい ぐらい

3人でご飯を食べながら、目の前で私と父が話してるのにまったく聞いてないとか どうなってるのか不思議でならなかった

まさに、興味がなかったんだろうな と思う

 

 

長い上にまとまらないので一旦終わり

自分で書いててよくわからなくなってきた 頭が使いものにならない時期かな···

またそのうち、続き書きます